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名古屋地方裁判所 平成3年(ワ)1012号 判決 1992年12月16日

原告

孫威璇

右訴訟代理人弁護士

細井土夫

右訴訟復代理人弁護士

西川源誌

被告

早坂啓

早坂透

右被告両名訴訟代理人弁護士

吉見秀文

被告

安田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

後藤康男

右訴訟代理人弁護士

小川淳

主文

一  被告早坂啓および被告透は、原告に対し、連帯して金一〇二七万七七六八円とこれに対する昭和六二年一二月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告早坂啓および被告早坂透に対するその余の請求は、これを棄却する。

三  被告安田火災海上保険株式会社は、原告に対し、被告早坂啓及び被告早坂透と連帯して金一七二万円とこれに対する平成三年四月二〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は、六分し、その二を原告の、その三を被告早坂啓及び被告透の、その余を被告らの各負担とする。

五  この判決は、一項、三項につき、仮に執行することができる。

事実と理由

第一請求

一被告早坂啓、同早坂透の両名は、原告に対し、連帯して一四八〇万六四〇八円とこれに対する昭和六二年一二月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二被告安田火災海上保険株式会社は、原告に対し、被告早坂啓、同早坂透の両名と連帯して一七二万円とこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が左記一1の交通事故の発生を理由にして、被告早坂啓(以下「被告啓」という。)に対して自賠法三条により、被告早坂透(以下「被告透」という。)に対しては連帯保証契約により、被告安田火災海上保険株式会社(以下「被告会社」という。)に対しては自賠法一六条により、原告の蒙った損害の支払いを求める事案である。

一争いのない事実

1 交通事故

(一) 日時 昭和六二年一一月三〇日午後三時二〇分頃

(二) 場所 名古屋市中区栄五丁目二三―一六先交差点(市道)

(三) 加害車 被告啓の運転する原付二輪車(名古屋市中村あ一一八四)

(四) 被害者 原告

2 責任原因

(一) 被告啓は、加害車を自己のために運行の用に供する者である。

(二) 被告透は、被告啓の実父であり、昭和六二年一二月四日、原告に対し、本件事故による被告啓の債務につき、連帯保証をした(ただし、連帯保証をしたその範囲については争いがある。)。

(三) 被告会社は、加害車の自賠責保険の契約保険会社であり、保険の限度内で原告に対して保険金の支払義務を負う。

3 損害の填補

原告は、自賠責保険による損害の填補として、傷害分につき一二〇万円(うち五三万八三一〇円は本訴請求外の治療費)、後遺障害分(自賠責保険)につき一四四万円の支払いを受けた。

二主要な争点

1 被告らは、本件事故によって原告の蒙った損害、特に休業損害及び後遺障害による逸失利益額を争い、原告は中華人民共和国の国籍を有する女性であり、本件事故当時、一時的な滞在のために来日中であったものであるから、その損害の算定に当っては、本国における事故前の現実の収入額を基礎とすべきであって、我が国における女子労働者の平均賃金をその基礎とすべきではないと主張する。

2 被告会社は、自賠責保険の契約保険会社は、自賠責保険調査事務所が「自動車損害賠償責任保険損害査定要綱」及び「自動車損害賠償責任保険損害査定要綱実施要領」に定められた基準によって決定した査定額に原則として拘束されるのであって、裁判所は、個々の具体的な事案に応じて右査定額以上の損害の認定をすることは当然できるが、右査定額を超過する部分につき、自賠責保険の契約保険会社にこれの負担を命ずることはできないというべきであり、被告会社は既に調査事務所の査定額は全額支払いずみであると主張している。

3 被告啓、同透らは、被告透の連帯保証は、原告の治療費と後遺障害に基づく損害についてのみであるとしてその連帯保証の範囲を争うほか、本件事故は、原告が自転車横断帯を通行せず、横断歩道を自転車に乗って進行中に発生したものであって、原告にも過失があるとして、過失相殺の抗弁を主張している。

第三争点に対する判断(成立に争いのない書証、弁論の全趣旨により成立の認められる書証については、その旨の記載を省略する。)

一<書証番号略>及び原告本人によると、原告は、前記争いのない日時、場所において、横断歩道(該歩道の内側交差点寄りに自転車横断帯がある。)を自転車に乗って北から南に向けて青信号に従って横断中、折りから交差点を右折して東進すべく接近してきた被告啓の運転する加害車に横断歩道上で衝突し、その場に転倒したこと、被告啓は、本件交差点を右折東進すべく時速約三〇キロメートルの速度で加害車を運転して交差点東出口に設けられた横断歩道に接近したのであるが、左前方の右横断歩道手前に停車する普通乗用車によって横断歩道の左方の見通しが遮られているにもかかわらず、歩行者はないものと軽信し、そのまま右乗用自動車の右側を通過進行しようとしたところ、横断歩道上を南進する原告をその手前6.3メートルに至って始めて認め、慌てて急ブレーキの処置を講じたが及ばず、そのまま約6.2メートル進行した横断歩道上において、自車を原告に衝突させるに至ったこと、原告は、本件事故によって胸部挫傷、左膝部擦過傷、右第一〇肋骨々折等の傷害を負い、棚橋病院において、事故当日から昭和六三年三月二日まで九四日間の入院治療を、翌三日から同年九月一日まで通院による治療(実通院日数五五日)をそれぞれ受けたのであるが、右同日、右病院において、膝関節屈曲障害等の後遺障害を残して症状は固定した旨の診断を受けたこと、自賠責保険の調査事務所は、原告の後遺障害を自賠法施行令二条による別表障害等級の一一級に該当するものと判断したこと、以上の各事実を認めることができる。

二原告が蒙った損害について検討する。

1 治療費(請求九〇七〇円)

〇円

原告は、棚橋病院の治療費五三万八三一〇円は精算ずみであるが、名古屋第二赤十字病院での治療費九〇七〇円(<書証番号略>)が未精算であると主張しているが、右病院の治療(内分泌内科)と本件事故との因果関係が証拠上は明らかでない。

2 入院雑費(請求一一万二八〇〇円)

九万四〇〇〇円

入院雑費は、一日当たり一〇〇〇円と認めるのが相当であるから、入院九四日間で右金額となる。

3 通院費(請求四万七四〇〇円)

三万七四〇〇円

弁論の全趣旨により、原告は、通院に公共交通機関を利用し、一回の通院に六八〇円を支出し、五五回の通院で右金額を要したことが認められる。

4 休業損害(請求二〇二万二九〇〇円)

〇円

<書証番号略>、証人馮開華及び原告本人によると、原告は昭和一九年(一九四四年)六月一七日生れの中華人民共和国の国籍を有する女性で、同国の江蘇廣播電視大学に技師・講師として勤務していた者であるが、昭和六二年一一月二日、さきに三菱電機株式会社の招聘によって来日していた夫馮開華の許に長女馮鍾琳(当一三歳)を伴って「親族訪問」(短期滞在)の資格で来日したのであるが、来日後一か月も経ずして本件事故に遭遇したものであること、原告は、来日するに際し、前記電視大学の技師・講師の職を残してきたものであって、短期の滞在で帰国すれば、再び同大学に勤務できる状態(身分)であったこと、原告は、昭和六三年九月一日に症状固定の診断を受ける直前の同年七月二五日から二年間の予定で名古屋大学工学部情報工学科(藤井省三研究室)において、外国人共同研究員として「コンピューター応用及び自動制御に関する研究」に従事することとなり、その間の同年八月一一日には滞在資格を従前の「親族訪問」(短期滞在)から「学術上の活動を行おうとする者」に変更となり、滞在(更新)期間も最高が「三か月」から「一か年」となって、同年八月二〇日からpcプリント株式会社にアルバイトとして勤務を始め、同年度に支給を受けた給与は二三万三六八五円であったこと、以上の各事実を認めることができる。

ところで、右認定の事実からすると、原告は、そもそも就労を目的としない短期滞在資格で来日したもので、滞在資格の変更でもない限り、我が国での就労は許されず、現に、原告は、来日後は就労せず、さきに来日して交通事故に遭った夫馮開華の身の回りの世話をしているときに本件事故に遭遇したものであって、滞在資格の変更があって就労も可能となったのは、来日後九か月余経過し、本件事故による傷害の症状固定の診断を受ける直前の昭和六三年八月一一日であったのであるから、原告が本件事故による休業により損害を蒙ったとは到底考え難いといわざるを得ず、当裁判所はこれが損害を認めないのを相当とする。もっとも、原告は、就労はできなかったとしても、本件事故に遭遇しさえしなければ、少くともさきに来日した夫の身の回りの世話等はできたのに事故によりそれができなかった等の事情は、次に認定の慰謝料の算定に際して斟酌することとする。

5 入・通院慰謝料(請求一七〇万円)

一六〇万円

前認定の受傷の部位・程度、入・通院の期間、さきに来日中の夫の許を訪れながら、来日間もなく事故に遭って、日常会話の不自由を訴えての入院生活を余儀なくされたこと、その他記録に顕われた一切の事情を考慮すると、入・通院期間中の慰謝料は右金額をもって相当とする。

6 逸失利益(請求八一一万五九二八円)

七四九万八〇五八円

<書証番号略>、証人馮開華、原告本人及び弁論の全趣旨によると、原告の夫馮開華は、中国南京大学情報物理学部の元助教授であり、昭和五八年から二年間(一九八三年〜一九八五年)、名古屋大学工学部で共同研究に携わっていて、その頃は、我が国での永住希望を考えもしていたが、父親の死亡等の事情もあっていったん帰国し、改めて昭和六一年(一九八六年)九月、大学助教授の職を辞して、在留資格「四―一―六―二」(本邦の公私の機関に受け入れられて産業上の技術・技能を修得しようとする者)で来日し、その後在留資格の変更(人文知識・国際業務)はあったものの、一年毎の在留期間の更新を続け現在に至るまで我が国で就労を継続していること、原告は、夫と共に我が国で生活すべく長女馮鍾琳を連れて来日し、その後長男馮鍾揚も来日し、以後、在留期間の更新を続けて一家四人が我が国に住居を定め現在に至っており、長女は日本の学校に通学し、長男は就労していること、原告は、入国ビザ取得の関係で「親族訪問」の一時滞在の資格で来日したのであるが、もとより当初より一時的な滞在目的で来日したものでなく、平成二年七月より名古屋大学工学部で専門分野の共同研究を始め、その直後に在留資格の変更を申請し、在留資格「四―一―八」(学術上の活動を行おうとする者)に変更となり、その後は「技術」という在留資格で一年毎に在留期間の更新を続けているものであり、来日の際に残してきた江蘇廣播電視大学の講師の職は来日六か月の経過により除名となり、復職は不可能となっているし、復職の意志もないこと、原告は、現在pcプリント株式会社に勤務し、平成元年度の年収は五三万六七五九円であったが、平成三年度のそれは二四六万三五一六円であったこと、以上の事実を認めることができる。

ところで、右認定の事実を総合して考えると、原告は、我が国と経済的社会的事情を異にする中華人民共和国の国籍を有し、我が国に滞在中に本件交通事故に遭ったものであるが、その在留資格、我が国での活動(就労)状況、在留期間のこれまでの更新状況及び家族の我が国での活動(就労)状況等の諸事情を考慮するならば、今後も原告は在留期間の更新を繰り返し、高度の蓋然性をもって我が国に長期間の在留を続けるものと推認するに難くなく、かかる事情のもとにあっては、原告の本件事故による後遺障害に基づく逸失利益額の算定に当って、我が国で原告がこれまでに得ていた収入額ないしは我が国の賃金センサスを基礎として算定するを相当と解すべきである。

そこで、原告の逸失利益額を算定するに、原告は、症状固定時は満四四歳の女性であるので、本件事故に遭遇しなければ少くとも昭和六三年度の産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の同年令の平均賃金二七五万三四〇〇円の収入を得たであろうとみられるところ、本件事故による前記認定の後遺障害により、今後少なくとも二〇年間はその労働能力の二割を喪失したとみるのを相当とするので、新ホフマン方式によりその間の逸失利益額の現価を計算すると、七四九万八〇五八円となる。

2,753,400×13,616=7,498,058

7 後遺障害慰謝料(請求三四〇万円)

二五〇万円

前記認定の後遺障害の内容・程度等を考慮すると、右金額が相当である。

三以上によると、原告が本件事故によって蒙った損害は、一一七二万九四五八円になるところ、被告啓、同透らは、被告透が連帯保証したのは、右損害のうち、治療費と後遺障害に基づく損害のみであると主張するので、これを検討する。

なるほど被告啓、同透らが提出する念書(<書証番号略>)には「……事故に関わる治療費及び後遺障害が発生した場合、その障害について責任を一切を負います。」旨の記載はあるが、右記載の事実のみをもって直ちに被告透の責任の範囲を限定したと解するには合理的な理由がなく、一般に特段の事情でもない限り、「治療費」「後遺障害に基づく損害」は例示であって、当事者の真の意図するところは、被告啓の負担する損害賠償債務の全てにつき連帯保証をすることにあったと解するのを相当とし、右特段の事情についてこれを認める証拠もない。

四次に、被告啓、同透らの主張する過失相殺の抗弁につき検討する。

本件事故現場は横断歩道に接してこれに並行して自転車横断帯が設置されていること、本件事故は横断歩道上で原告が自転車に乗っていて起きたことは前記認定のとおりであるが、原告が自転車に乗ったまま(自転車横断帯でない)横断歩道を走行したというその横断の方法が本件事故発生の原因の一つになっていると認めるに足る証拠はなく、結局、被告啓、同透らの過失相殺の抗弁は理由がないというべきである。

五以上によると、被告啓、同透らが原告に対して賠償すべき損害額は、一一七二万九四五八円となるところ、右損害の填補として原告が既に受領した二一〇万一六九〇円(傷害分六六万一六九〇円、後遺障害分一四四万円)を控除すると、被告啓、同透らが原告に支払うべき損害額は、九六二万七七六八円となる。

六原告が被告啓、同透らに対し本件事故と相当因果関係のある損害として賠償を求め得る弁護士費用は、六五万円と認めるのが相当である。

七ところで、被告会社は、被告啓車両の強制保険の契約保険会社であり、本件事故に関し、原告の後遺障害にかかる自賠責保険金一四四万円を原告に既に支払っているのであるが、右金額は、保険金請求事件を公平かつ迅速に処理するために設けられた自賠責損害査定要綱及び同実施要領に定められた基準によって決定した査定額であるとしても、裁判所は、原告の本件事故による後遺障害に基づく損害額の認定に当り、右査定額に拘束されるいわれはなく、かえって、裁判所は、自ら認定する原告の後遺障害に基づく損害額が右査定額を超える場合には被告会社に対し、自賠法施行令の定める保険金額の限度内で、原告にその差額を支払うことを命ずることもできると解すべきである。

そうすると、裁判所の認定する原告の本件事故による後遺障害に基づく損害額は前記認定のとおりであるから、自賠法施行令の定める保険金額三一六万円との差額金一七二万円につき、被告会社に対して原告に支払うことを命じ得ることになる。

八以上によると、原告の本訴請求中、①被告啓、同透の両名に対し、連帯して一〇二七万七七六八円とこれに対する昭和六二年一二月一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、②被告会社に対し、被告啓、同透と連帯して一七二万円とこれに対する訴状送達の日の翌日である平成三年四月二〇日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、それぞれ求める限度で理由があることになる。

(裁判官大橋英夫)

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